機械と人間を分かつ物
成功するかしないかに関わらず、自分が今ある経験値や知識で考えてみて、「これやってみればいいんじゃないか」と思えた行動を取ってみる。
そして、それでダメだったら、ダメだった時に次取るべき行動を考える。
そうすると、ワクワクが生まれる。まるで冒険してるかのような、少年の時に戻った気分になる。
これが本来の人間だ。わくわくすることに直向きに向き合い、それをとことん追求する。こうして、人は自由になるのだ。
しかし、今の社会では、僕たちに選ぶ権利はない。家族や会社の上司、国の多数派の意思(つまり、暗黙の了解やコンプライアンス、法律や憲法などのこと)によって、その自由意志が制限されている。
すると、人間は自らの内側に宿す心が弱ってくる。自らの意思で選択し、責任を取り、考え行動することにワクワクする。そうすることで幸福を感じる生き物である僕たちは、ワクワクを感じなくなるのだ。
それは言い換えれば、機会費用を搾取されている。僕たちはワクワクする機会を奪われている。
ワクワクする経験が無くなれば、僕たちは空っぽの機械同然だ。
誰かの価値観に従い動く、機械なのだ。
僕たち人間と機械を分かつのは、「自由意志」があるかないかだ。
僕たちは幸福になるために生まれてきた。幸福な人間は、その「自由意志」に従った人間なのである。