「とにかく動け」の法則
現実が頭で思い描いた通りに(理想通りに)ならないと、僕たちの心はモヤモヤする。
この心の状態の事を仏教の世界観では、「苦悩」と言う。僕たちは現実と理想の乖離(ギャップ)に「苦悩」するのだ。
苦悩した時、僕たちは遺伝子的なレベルで、この苦悩から免れようとする。なぜなら、僕たちの行動原理は「快」を求めているからだ。「快」というのは、「快適さ」の事だと思っていい。真冬の寒さで身体が冷えたら、ストーブの前で暖まりたくなる。この場合、「暖まること」が「快」だ。逆に、真夏の暑さで体温が上がれば、扇風機の前で体温を下げたくなる。この「体温を下げること」も「快」だ。ここからわかるように、快というのは、「状況によって変わる」。僕たちを取り巻く環境によって、「快は変化する」のだ。
「快は状況により変化する」という事を話した。
次に、「快」を「幸福感」に置き換えてみる。すると
「幸福感は状況により変化する」
実は「快」も「幸福感」も、その中身は同じだ。ともに「理想」が現実化した時に感じるものなのだ。
「幸福感」は、僕たちが人生で最も求めている感覚だ。僕たちは幸せになるために生まれてきているのだ。
人によって色々な幸福の形がある。ある人はステキな男性と結婚すること、ある人は女と100人寝ること、ある人は世界一有名なラーメン屋を作ること。幸福は、その人の生まれ育った環境や積んできた経験などの背景によって変わる。よって、幸福感も状況によって変化するのだ。
だとしたら、我々が人生において求めるべき「幸福」は環境や経験によって決まる。環境や経験が完全に一致する人など存在しない。一人一人の人間が固有の経験を積んできているのである。よって、「幸福」の形も人によって様々だ。
このことから、「幸福」が全く同じことになるのは有り得ない。僕たち一人一人が異なる幸福の形を内在化させており、そうすると僕たちの人生のゴールも様々なのだ。
人生のゴールに達することが幸福への道だとしたら、僕たちはそこへ最短ルートで目指すべきだろう。
そのためには、まず自身の「幸福」の形を明確にすることだ。ゴールの場所さえわかってしまえば、方角を決めてまっすぐ進むだけなのだ。
だが、どうやって「幸福」を明確にすればいいのだろうか?
それは「とにかくやってみる」ことだ。
やってみて初めてわかることがある。そこにヒントがある。
一番やってはいけないのが、「ずっと考えていること」だ。僕たちは考えたことを表出しなければならない。なぜなら、表出することなしに僕たちは世界に関与できないからだ。思考は自身の中で完結してしまう。これはとてももったいない事だ。僕たちは「表現者」なのだ。自身が感じた、思ったことを表現する生き物なのだ。そうすることで他者に影響を与えるのである。他者に影響を与えると、逆に他者からも影響をもらうことができる。その影響が僕たちにとってどのような意味があるのか。これが重要である。ここに幸福のヒントがある。