考えるコアラの頭の中

思考の整理整頓のために書きます。なので、思考ダダ漏れで読みづらいです。いつか推敲します。※18/6/26以前の記事は、別人格です。今から思うとおかしな事を言っているなと思ったりします。成長過程として敢えて残しておきます。何卒、ご理解ください。

読ませる気のないエントリー

ブラックなアルバイトで精神を減りすらし(周りと比べて自分の才能の無さにも)授業のつまらなさに愕然として、大学はもはやサークルに所属するためだけの所だった。だが、音楽サークルのためだけに年間120万も払うのは解せず、どうにか大学に意義を見出そうと努めていた。そんな折、父経営の会社倒産を、突然父親から通告される。それ以来、音楽への興味も薄れサークルにも行かなくなり、いよいよ大学に通う意味がわからなくなる。強いて言えば、就活で有利になる、ということだった。だが、大して勉強もせずに社会人になることに一抹の不安を覚えた。大学の授業に希望はない、だとしたら独学しかない。学校や市営の図書館に籠り、アルバイトやサークル活動、授業もほとんど出席せず(というのも、こうした時間を過ごすと心が死んでいく感覚があったため。)に、ひたすら貪るように本を読んだ。リベラルアーツにハマり、遺伝学・生物学・脳科学精神分析学・心理学・物理学・哲学・カオス学など幅広い分野の本を読んだ。まあどれも古典中の古典で十分に理解したとは言えないけど。それでも、本を読んでいると視野が広がるのがわかった。自分が世の中に対して感じた疑問が解消されていった。本を読んでいると、どんどん疑問が湧いていった。そうしていくと、ある究極の問いにぶち当たった。「なぜ人は生きているのか?」。そもそもこの問いに答えを見出す必要があるのか疑問だったが、この問いに答えられなければ、一生後悔するぞと心が訴えているのに僕は気が付いていた。こうしてまた、様々な「やるべき事」を後回しにして本を読み漁ることになる。すると、ある一冊の本に出会った。吉野源三郎さんの『君たちはどう生きるか』という本で、今では池上彰ら監修でマンガ化され多くの人の目に留まったことがあるはずだ(この事実から思うに、多くの人が僕と同じように悩んでいるのだろうと推察される。だとしたら、今の社会構造に欠陥があるのは間違いなく、それを改革するのが今の僕の目標の一つだ。)。この本のメッセージは、一言でいってしまえば「心に素直に生きろ」だと思う。というのも、この本が出版された背景として世界大戦がある。日本は戦時中、若い青年たちが「お国の為」「天皇の為」、涙を流しながら喜んで身を犠牲にした(神風特攻隊が好例だ。)。本当は誰も身を犠牲にしてまでも国に尽くしたくなんてないのだ。だが、やらなければやられる。国家事情に巻き込まれる形で、行かざるを得なかった。ここでの問題は、青年たちの「心」が無視されている事だった。こうした事実に疑問を抱き、「人間らしく生きる」ことが希求された。「人間らしく生きる」とは、心で感じた事を阻害されず、自由に生きれる事だ。この「人間らしく生きる」という言葉に、僕は「人がなぜ生きるのか」という問いへの答えを見つけたのだ。それはとても簡単で、「幸せになるため」なのだ。でも、ここでさらなる難解な疑問が湧いてくる。(こうして次々と疑問が湧いてくるのが、本を読むことの楽しみの一つだ!)「幸せとは何か?」ということだ。「幸せ」って何?何をしたら「幸福」に感じるの?幸福は「主観的」な感覚だから、過去に感じた「幸福」をヒントに考えることにした。ざっと挙げると、小学生の頃は学校1脚が早かったこと、女の子にチヤホヤされていたこと、中学生は音楽にハマって上手くなっていったこと、学年でトップの成績を収められるようになったこと、高校生は人生で初めての彼女ができたこと、学年でトップの成績を収められるようになったこと、音楽で一躍学校中に名が知れたこと、だった。もちろん、温かい家族に囲まれて育ったこともあるが、それは窮屈なこともあった。(ちなみに大学に入って良かったことは、その時点で読書以外に何一つなかった。)。以上をまとめると、「性」「努力が報われる」「好きな事が評価される」。僕は大学に入るまで「努力でなんでも克服できる」と思っていたが、現役時受けた大学は全滅し、一浪してめちゃくちゃ勉強して大した結果が出なかった経験から、人には向き不向きがあるのだなと確信した。たしかに努力次第では伸びるかも知れないが、よくて人並みだなぁ、と。だったら、自分が向いている、言い方は悪いかもだが「才能」がある分野にリソースを注いだ方が、費用対効果が良い。しかも、そっちの方が自己肯定感を高めることができる。どちらが幸福かは比べるまでもない。こうした苦い経験もあり、自然と僕にとっては幸福とは、「自分の才能が発揮できること」だと思うようになった。抽象度を上げれば、「夢を実現すること」だ。だから、経験則からの結論で大変恐縮だが、「夢なくして幸福なし」である。だが、面白いことに、これは進化心理学できちんと説明できてしまう。それについては別記事『ヒトの心と行動原理について』を参考にしてくれればわかるはずだ。簡単に説明すると、前提として「ヒトは遺伝子の乗り物である」。であるから、ヒトはその遺伝子を残すために生存するのであって、「これをやりたい!」という感情は、実は子孫繁栄のための原動力なのである。つまり、僕たちが「人間らしく生きたい」「夢を持って生きたい」と感じるのは、僕たちの遺伝子が、それを実行することが子孫繁栄にとって有利であることを知っているからだ、というのが一応の説明だ。非常にドライな話だが、人間は生物である以上、その遺伝子を残す事が唯一の目的だ。だから、遺伝子を残しやすいように生存戦略を練るような仕組みになっている。その仕組みというのが、「感情」なのである。では、どういう時に最大の幸福を感じる事ができるのかという問いは、子孫繁栄に最も有利な状態になることだ。それは、自身の才能を他者にアピールすることではないだろうか。だから、僕たちは自身の才能にいち早く気づき、夢を掲げ、それに向かってリソースを注ぐのが最も生存戦略上合理的で、幸福に感じる事ができるのである。話は戻るが、こうした真実があるからこそ、「好きな事に夢中になるべき」なのである。それは「心惹かれることに夢中になる」ことである。それが紛れもなく「人間らしく生きる」ことだ。だから、僕は人間が人間らしく生きることができる世界を構築したい。もちろん、これが精神的な自立を意味するなら、そのためには経済的に自立する必要がある。この二つの自立が世界中の人の間で実現したら、それが世界平和になるはずだ。僕はそれを実現したい。