考えるコアラの頭の中

思考の整理整頓のために書きます。なので、思考ダダ漏れで読みづらいです。いつか推敲します。※18/6/26以前の記事は、別人格です。今から思うとおかしな事を言っているなと思ったりします。成長過程として敢えて残しておきます。何卒、ご理解ください。

日本社会のおかしさと、それに対して僕がしようとしてることについて、書き連ねただけの文章

僕がこの事でプライドもクソもなく、恥じらいや努力を隠さずすべて赤裸々にさらけ出しつつも、傷付かず、本気で取り組めるのは、①そこにプライドを持っていないから、②みなが考えて行動すべき問題だから、③なによりも僕自身が取り組まないと生き苦しいからだ。今の世界は息苦しい、人間関係に縛られ、やりたくもない勉強で競争させられ、明らかにスタート時点で差があるような出来レース(遺伝的、環境的な要因ですでに差がある)であるにもかかわらず、そこで勝ち負けを申し付けられる。人の才能は、多様だ。各人がonly 1の分野でno.1の人物になれるはずなのに、言語や数学的処理能力に重きを置かれた社会制度に無理やり押し込まれ、その分野で才能がない人間は、苦しい思いをしながらそのない才能を補おうとする。でも、それは不平等だ。なぜなら、苦痛だから。やっても、元々も才能がある人材とそうでない人材との差は、互いが同じ努力量をしたとしたら、明らかに才能がある人の方が最終的には伸びるようにできている。でも、それはおかしい話だ。言語や数学的処理能力があるから、価値がある、それ以外には価値がなく、そこに時間やお金を投資すべきではないという考え方が、今の日本を、見えないように支配している気がしてならない。でも、それはおかしい。なぜなら、才能は人によって千差万別だからだ。みなが数学的、言語的処理能力に優れているわけではない。僕が本当に面白いなと思ったのは、美味しい餌と普通と餌とを別々の猿に与えた実験で、普通の餌を与えられた猿が、その「不平等性」に対して、餌を与えた人間に"怒りを訴えた"という事実がある事だ。そのシーンは実際にようつべに載っており、興味のある方は、ぜひ一度見てみると面白いと思う。ここで言いたいのは、猿でさえ、不平等性に対して怒りを訴えるのに、人間は、その持ってる才能に対して同等に価値(猿でいうなら、餌。人間の場合は、お金など)を与えられない事に、「何も行動しない」のである。ひとえにそれは、日本教育制度の失態である。文部科学省によれば、教育の目的は、ざっくりといえば「人間性の完成」である。各個人が個人としての意志で生きていけるような教育作り。でも実際は、その分野だけが偏った形で重要視され、(でもそれは、生きていったり円滑をコミュニケーション、合理的な判断をする際には大いに役に立つから、なくてはならない分野でもある。)結果として、他の分野にはまるで「価値がない」というような風潮・空気ができてしまった事である。それと、日本独特の集団主義的な考え方が相まって、出る杭打ち込む現象や、嫉妬社会を生んだ根本の原因になったのではないだろうか。

この問題の解決策は、個人教育の公共化だ。集団教育(集団の中でどう振る舞えば良いのか)というメタ的な学習をさせる一方で、それに合わない気質の生徒には、個人としてどう振る舞えばいいのか、どう成長して理想を現実化していけばよいのか、ということを学ばせる。つまり、「強い個人」を作る制度作りだ。これがかんせいすれば、個人と集団が共存する社会が実現する。そうすれば、個人も集団も対等な関係になり、言ってしまえば、他人に迷惑をかけなければ何をしてもいい社会になる。ミュージカル世界の実現とも言える。突然歌い出した人がいたと思えば、他にもベースやギターが得意な人がそれに合わせて演奏し始め、他の分野で才能ある人がそれにセッションしていく…こうして新しい価値が生まれる場が、世界のどこにでも実現する。こうして、個人が住みよい世界ができるのではないか。プライドも包み隠さずに、赤裸々に出して、苦しい思いをしなくても活動できる世界が実現できるのではないか。そうした世界で、僕は好きな音楽を創作し、演奏し、生活できる。そんな世界を創出したい。いや、する。もうそこまでの目標、時間設定、プロセスは描けている。もちろん、それらは、これから待ち受けている現実に合わせて、加筆修正していく。常に、手持ちのリソースに合わせて、最適化しなければならない。でなければ、遠回りしてしまうからね。納得のいく行動は取れないし、幸福感も減ってしまう。さらには、後悔も最小に抑えたい。フローに入り、幸福感を押し上げる一方で、後悔の幅を縮める。幸福の最大化のヒントは、ここにあると思う。


最後に、日本には可能性しかない。価値が爆発的に創出して(それはまるで地球誕生のビッグバンを彷彿とさせる)、世界中の注目を集めるような現象が起きる。それが気になった世界が日本の本質を理解しようと、学び、各国でも応用しようとする。こうして世界中でも同じことが起きれば、僕はミッションは完了なのである。生きている間は、日本でその基盤づくりとその普及。世界で広まるための基盤づくり(ロールモデル)ができれば、いいと思ってる。


さえ、こんな感じ、今回の記事は以上だ。


どんだけでっかい夢見てんだ?と呆れ返る人もいるだろう。でも、すべてのもの、宇宙の法則(ここでは、エネルギー保存の法則をいっている)で成り立っている。仕事は、多い方から少ない方へと移動し、エネルギーの総量は変わらないという法則だ。僕は、これは人間のストレスにも言えることだと思っている。ストレスは、仕事量の事だ。僕は今の世界で普通の生活を送るのに、多大なストレスを感じてしまう。それらは、少ない方へと流さなければいけない。ではどうするか?ストレスを発生させている根本の原因をなくすしかないないのだ。そこにストレスのはけ口を見出している。なぜなら、それは凛として佇んでおり、誰にも疑問視されることなく、少ない仕事量で存在しているからだ。ストレスはそこにぶつける。そして、ぶつける中で、修正していく。ストレスを与えない制度にする。


では今日はこの辺で。