安易に「フリーランスになれ」という人がわかっていない残酷な現実。
僕が言いたいことはこうだ。
外に出ろ外にだろいうが、好きなことで食える見込みがねえから出れねえんだわ。お前らみたいに言語とか数学処理能力が優れた奴にはわからないかもしれないが、音楽センスや美的な方が優れてる奴には、今すぐ飛び込めと言われても勝てる見込みはないんだよ。
そこの所を考慮せずにケツを叩くのは、余計なお世話だし、納得がいかねえ。そんなの不公正じゃねえ。
だから、僕が弱者でも対等な立場になり、その先駆者になる。こういう人がいないと、外に出たくても出れない人、出たとしてもなぜか幸福を感じられない人が現れ、幸福の格差(自己実現で飯が食えるかどうか)が生じる。これは不公平だ。僕は認めん。
バザールで安定的に稼げるのは、すでに価値として認められていて、その価値を表出する高いスキルや才能を持った人に限られる。そうでない、まだ価値として認められていない才能を伸ばし、価値として世間に認めさせるには、工夫が必要で、大きな価値のあるものと同じやり方では食っていけない。
好きなことで食ってけるやつとそうでないやつがいる。なのに、安易に外に出ろとだけいうのは、余計なお世話だ。そこに不平等性がある。
好きな事で食ってける奴だけが幸福になれて、そうでない奴は幸福を享受しづらい。なのに、外に出ろ?うるさい。黙ってろって話だ。
だからこそ、僕のスタンスは「リバタリアニズム」だ。人の人生に余計な口は挟むな。
言いたいことがあるなら、適切な批判、より合理的なやり方、応援だけにしろ。
それ以外は無視に値する。なぜなら、読むだけ時間の無駄だし、怒りというのは結構なエネルギーを使う。そんなことにエネルギーを使ってる場合ではないのだ。
人生とは短い。やりたい事をやり尽くさねばならないのだ。