考えるコアラの頭の中

思考の整理整頓のために書きます。なので、思考ダダ漏れで読みづらいです。いつか推敲します。※18/6/26以前の記事は、別人格です。今から思うとおかしな事を言っているなと思ったりします。成長過程として敢えて残しておきます。何卒、ご理解ください。

誤解と批判に対する感情の吐露

久々の投稿です。
ノートには沢山のメモ書きが書き綴られていますが、そのメモ書きも、発信し、共有しなければ、何の価値にもならない、と感じたので、積極的に、かつ個人が特定されない程度に共有していければ、と思います。

今回は、まあ僕の最近感じた「批判」に対して思いを綴りました。故に、実用性はなく、ただただ書き連ねていった文章なので、時間の無駄になる確率は、極めて高いと思われます。

読む前に、今どれだけの時間があって、いっでに目の前の事にどれだけのリソースを費やせるのか、どこまでやるのか?と言ったことは、あらゆる時間管理術に通じる、スケジューリング方法です。今はかなり雑に書きましたが、まあいつの日かちゃんと記事にしてこの事を書いてみたいと思います。

では、お待たせ(?)しました。

以下本編です。

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きっとこうした誤解はいつまでも続き、僕はペテン師だの嘘つきだの、陰口を叩かれ続けるんだろう。弱者の僕にとっては、きりのない戦いだ。抵抗戦とでもいうのだろうか。僕から「嘘つきはどっちだ?」と突き詰めるのは、気持ちの良いことだが、そこまでしてる時間はないわけで。けど、向こうは平気で嘘を言うんだ。自分の体裁を保つ為に、何食わぬ顔(実際には見えいないが)で平然と嘘を言ってのける。僕はもはや呆れることや残念に思うこと、落胆失望するを通り越して、そう言う人たちが"怖い"。そう、「怖い」のだ。全くもって、一貫性がない。いや、まるで小学校の頃のガキ大将とその連れ達が、気弱で冴えない学生を虐めている(リンチしている)のに、変わりないではないか。どうして僕がこんな目に遭わないといけないのだろう。僕はひたすら自分の心に従って、言いたいことを言ってるだけなのに。きっと、この苦悩はいつまでも続くんだろう。辛い。あぁ、人間はいつまでもいつまでも、変わらないのだなあ。長いものに巻かれるのが正義だと思い込み、自分独自の「正義」を持たない。どちらが正しい、偉い、強いではなく、どちらもあっていいんだ。でも、強者達はそれを認めようとしない。なぜか?僕自身の考えを述べさせてもらえば、それは"怖い"からだ。恐怖心がその根底に潜んでいると思う。「こいつは一体何を考えているんだ?」「何をしでかすつもりなんだ?」「いい機会だ、ちょっかいを出してやろう」という、"上からな物言い"で。対等な関係だと思うなら、そんなことはしないだろう。でも、するんだ。だってそこには、絶対的に染み付いた「多数>少数」という価値観が佇んでいるからだ。僕はこの無駄な戦いに終止符を打ちたい。ロキならどうするだろう?ロキとは、ギリシャ神話に出てくる変幻自在の神で、"閉ざす者"、"終わらせる者"という異名を持つ。僕は疲弊するだろう。だけど、終わらせないと。基盤作りだけでもするんだ。後輩達がきっと、いや必ず、この住みづらくて、どーしようもない世界を変えてくれるはずだ。と信じてやまない。そして、僕がこうして自身の経験を書くのは、何も後輩達に僕の心情を理解してもらいたかったり、啓蒙しようなんて大それた事ではない。書くのは、ひとえに僕自身のためだ。書かなければ、この憂鬱で、失望して、もう無理なんじゃないかと思ってしまう弱気な心を、心の毒を吐き出すためだ。こうしなければ、心が保てない。辛い。苦しい。なぜ平気で、僕の名誉を毀損するんだろうか。あぁ、思い出した。今道の脇でうねうねしていたミミズがそうだ。前にテレビ番組で、ミミズに小便をかけて、返り討ちを食らった小学生がいる事を思い出した。返り討ちを委託できる制度を作ろう。返り討ちを「代行」してもらうんだ。

にしても、「本でもかけば?」という言葉で、意外と書けるもんだと思った。感情の吐露が、想定外に進んだ。でも、そこまで気持ちがすっきりした気分にはならない。というのも、きっと、現実問題は何も変化が起こらないからだ。これも僕の自己満足。結局オナニーと変わらない行為だ。それでも、僕に共感してくれる人がいるとしたら、それは多少気持ちの面で救われるかもしれない。勇気をもらえるかもしれない。でも、それすらもうんちなフレームに侵されているという事で、僕はやりたくないのである。

なんだろうか。この落度は…。なぜここまで落胆するのだろう。期待していた?期待を大きく下回った結果だろうか?だとしたら、僕の責任だ。というよりは、自分の責任として考えた方が楽なのだ。他人は変わらない。自分が変わらない限りは、他人は変わらないのだ。時に、世界がとても明るく見える瞬間がある。それは何も、世界がより良い方向に進んでいるのでも、僕が後退してるのでもない。それは紛れもなく、僕が"前進"しているのである。世界は自分を映し出す"鏡"だ。世界に絶望したり、世界に希望を見出すのもまた、僕の心を映し出しているに過ぎない。そういう解釈で世界を見るならば、やはり僕は世界に架空の「希望」を見出したんだと思う。理想と現実とのギャップに、驚きを感じた。そして、もうその乖離は、決して埋められないのではないのか(なぜなら、身近な人でさえそうなのだから、世界中の人など夢のまた、夢?)と。彼ら彼女からの攻撃に、予防策はないのだろうか?おそらく、無駄だ。100パーセント伝わる事など、あり得ない。だとしたら、どんなコミュニケーションを取るのが最適なのだろう?僕にできることは?せめて、この苦しい気持ちを緩和する、最善の策はないのだろうか?今日も苦しい。世界は刺激が強過ぎるんだ。

p.s 実力で認めるしかない。黙認させる。何も言わせない。やはり、個人強者になるしかないんだ。道は決まっている。やり抜くしかない。常に精神を正常に保とう。やり切れ。でないと、生きている意味がない。

僕は「人類の父」でありたい。


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今回は以上。