嫉妬社会「日本」に住む日本人は、めっちゃ合理的だったという話と、それをうまい具合に利用し、みんなが幸せになるために僕たちが今すべきことを話す。
僕は今まで誤解していました。
日本は嫉妬社会で、みながみなで蹴落としあい、「あぁ、なんてゲーム理論の概念もクソもない国民性なんだろう…対立していいことなんてあるわけねえやん」と思っていたが、これは僕の間違いだった。違うんですわ。
日本人って、めっちゃ合理的な国民なんだ。みんな、同じ、漠然とした「金持ちになりたい」「一番になりたい」という願いがあるけど、その目標があまりにも漠然としているために、同じ目標だと誤解して、競争するべきでない相手とも競争して、蹴落そうとする。それが、嫉妬社会、出る杭は打たれる現象の発症原因。ゴールが全く同じで、競合がいたら蹴落そうとするのは、生物としては当然の事で、合理的な解。だから、(なんかよくわからないけど、偉そうな人が言ってるし正しいっぽい。その人がいう事だけ聞いていれば、金持ちになれんだろwと安易に考える)意識高い系や、(現状金持ちだったり、某外資系企業のエリートサラリーマンを狙う)キラキラ系女子が世間で叩かれたり、ディスられたりするのは、当然の事で、それでも本当に強いやつというのは、そんな競合からの攻撃をなんとも感じないサイコパスか、超絶に実力のある人(例えば、圧倒的に美人だったり、超頭が良い秀才中の秀才)に限られてくる。結局、生き残るやつ=強いやつというのは、続けたやつだ。どんな競合からの攻撃も、のらりくらりと躱し、ストレスを感じない個体こそが、最強なのである。そのポテンシャルのない弱者は、さっさと違うフィールドに逃げる術を覚えて、そこでトップを目指した方が早いという事を、僕はここで言いたい。
ところで、意識高い系というのは、昔でいう「出家人」ことだ。普通の青年が、ある日いきなり、剃刀で頭を坊主にし始めたと。家族や身内、友達からは、お前どうした?wとディスられるが、それでも坊主を続け、自分が信じた道を歩み続け、その道を極めたものが、「教祖」になる。問題は、いかにニッチな道を選択するかである。でもこれは、実際にやって見ないとわからない問題だ。だから、行動あるのみ。一度目標を立て、プロセスを描けたら、考え付く限りで、行動してみる。そこから、また考えればいいのだ。本質というのは、現実を通してしかアクセスする事ができない。だとしたら、今の見える範囲での本質(自分の幸せ像)を実現していこうとすればいいのだ。
僕の言いたいことわかりましたか?
・無駄な競争を避けよ
・自分だけのゴールを見つけろ
・それには今のゴールまでのプロセスを描け
・描けたら行動しろ
・行動して違和感があればゴールを見直せ
・またゴールまでのプロセスを描け
の繰り返しだ。
そして、これをみなに拡散しよう。でも、拡散したからといって、実行するとは限らない。でも、知ると知らざるとでは、0と1との差だ。まずは、認知させる。それから、理解してもらい、行動を起こさせる、というコミュニケーションのプロセスを踏めば、実現できる!と僕は信じている。ので、拡散きぼんぬなのであります。
幸せは、意外と簡単に手に入る、と僕は思っている。では、人類に、幸あれ。