考えるコアラの頭の中

思考の整理整頓のために書きます。なので、思考ダダ漏れで読みづらいです。いつか推敲します。※18/6/26以前の記事は、別人格です。今から思うとおかしな事を言っているなと思ったりします。成長過程として敢えて残しておきます。何卒、ご理解ください。

「幸せ」は外にあるのではなく、自分の内側にあり、コンプレックスにこそ、ヒントが隠されているよという話。

幸せを外側(既製品、例えば、昭和的ロールモデル)に求めようとする人がいるが、そうではない。幸せとは、内側にあるもので、変えることのできない、現実として佇むコンプレックスとの戦い、つまり、自身の「弱さ」との戦いであり、それをいかに克服するかというのが、人生のテーマであり、そこに価値(生活コスト以上のお金)を見いだせれば、自分は世の中で認められる存在、生きてて良いんだという確信を持つことができるので、満たされ、幸福を感じることができるのだ、と思う。

つまり、人生(幸福を感じる事)とは、ただ生きているだけで自分を不快にさせる『コンプレックス(弱さ)』に、「価値」を見出す、いわば、コンプレックスとの旅である。それには変化(成長)が必要であり、成長するものは、不思議と魅力を感じる。それは、生物として生存確率が高いからだ。時代に合わせて自分を変えることのできる個体は、それだけで強い。なぜなら生き残ることができるから。でも、これ単にモテるかもしれないが、変化の動機が「モテたいから」ではダメだ。絶え間ない自分(弱さ)との対峙を通じて、不快を取り除き、克服することでしか、人は成長を継続できない。

現実が辛い時、芸術や文学、自己実現の実現をしたくなるのは、それがその現実を辛くしてるコンプレックスを克服することが自己実現に他ならないからである。僕がこうして文章を書いたりするのは、こうした理由だ。だから、現実が辛くなったら、まずやる事は、自己実現のための時間を確保し、それを叶えるための作業をすることだ。そこで少しでも克服するために変化することができれば、元気が出ること、間違いない。思い通りにならない、憂鬱な時は、自己実現、コンプレックスを見直して、どうしたら克服できるのか、どうしたら他の追随を許さない自己を実現できるかを考える時間にしよう。構想、プロセスが描けたら、それだけで元気が出るはずだ。憂鬱で2年近く家に引きこもってた僕がいうんだから間違いない。というか、仮説なので、再現性があるか確かめたいのでやってもらいたい、というのが本音である。笑


では、今回はこの辺で。