考えるコアラの頭の中

思考の整理整頓のために書きます。なので、思考ダダ漏れで読みづらいです。いつか推敲します。※18/6/26以前の記事は、別人格です。今から思うとおかしな事を言っているなと思ったりします。成長過程として敢えて残しておきます。何卒、ご理解ください。

コミュニケーションの難しさと誤解、責任の所在について考えてみた。

ある友人から、こんな批判をいただいた。


家族がいちばんの幸せという形もあるんじゃないの?それを「逃げ道」と表現するのは失礼じゃない?


という意見。

僕は見解は、以下の通りだ。


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「ハンロンの剃刀」という言葉がある。


無能で十分説明されることに悪意を見出すな。


つまり、悪意は無いのに、それでも悪意があると思われるのは、僕の表現力不足のせいだという事だ。そういう意味で、誤解を与えてしまったなら、申し訳ない。弁解の機会をいただけるなら、僕は「他人に迷惑をかけない」生き方なら、どんな生き方でもいいも思っている。そこに優劣は無いし、幸せの形は人それぞれなので。あくまでも上記の生き方は、僕にとっての幸せの形であり、家族第一で生きる事を否定したり、劣った生き方であるという意味ではないことを、ここで強調しておきたい。また、こうした誤解を解いてもなお、お前の態度が気に入らない、うざい、むかつく、という批判をする人達がいると思う。僕はそういう人達に対しては、批判している人"自身の問題"だと思っている。というのも、僕は他人に迷惑を掛けていないからだ。こういう生き方もあるよ、と提示し、そこにはそれ以外の生き方を否定したり蔑んだりする意図はないよと説明しているのに、それでも「それは間違っている!」と反論するのは、反論する人の中で、今の生き方に不満があるのではないか、今の幸せの在り方に疑問があって、自分で自分を否定してしまっているのではないか、と考えている。だから、問題があるとしたら、反論する人自身の問題だ。今の幸せの在り方を見直した方が、幸せへの最短ルートだと、僕は思う。


今回は以上。