人類のミッションと我々が目指すべき人物像
人類のミッションは、言うまでもない。
コスモポリタニズム的な世界の実現である。
なぜ人は争うのか?
なぜ平等であるはずの人間に貧富の差があるのか?
簡単である。
搾取する側と搾取される側が存在するからだ。貧しいと感じる人は、搾取されているのだ。富があると感じる人は、搾取しているのである。
では、なぜこの二項対立が存在してしまうのか?
それは現代の社会のシステム上、必然だからである。つまり、資本主義社会だからである。
資本主義社会は、資本家が存在することが前提である。資本家が存在して初めて、その傘下に労働者が存在する。資本家ありきの労働者なのである。
つまり、資本家>労働者の構造が成立する。その傘下にある労働者が資本家を超越する事はない。決してない。常に搾取されているのだ。
では、労働者は資本家の搾取から免れることはできないのだろうか?傘下に居続けるしかないのだろうか?
答えは、否。可能である。
むしろ、労働者は資本家から解放されて、自らが資本家に変態しなければならない。なぜなら、労働者である限り、資本家に依存するからである。みなが資本家になるべきだ。みなが資本家になれば、経済的な平等が実現する。あとは、本人次第で富の大きさが決まる。
依存することで、人は自由でなくなる。依存をなくせば、人は自由になる。
特定の国に所属せずとも、会社に所属せずとも、家族にも所属せずに済む。
国にも?会社からも?さらに家族??
と思われるかもしれないが、人間は本来、自由なのである。何にも縛られることなく、自らの心の赴くままに生きるべきなのである。なぜなら、心がそう言うからだ。
どこに行っても良い、どこで働くも良い、どこで暮らすのも良い。
人は自由に生きるべきなのである。
そうでなくては、自由でない。
現代、そしてこれからの時代は、自由のための土台が築かれている。誰でも簡単に自由になれる時代が来るのだ。今も自由な人はいる。
高度な機械化で、誰もがやりたくない労働が無くなる。
その時、人は本当に意味で自由になりうる。そのための準備をすべきだ。
人類みな平等な市民なるべきなのである。