考えるコアラの頭の中

思考の整理整頓のために書きます。なので、思考ダダ漏れで読みづらいです。いつか推敲します。※18/6/26以前の記事は、別人格です。今から思うとおかしな事を言っているなと思ったりします。成長過程として敢えて残しておきます。何卒、ご理解ください。

恋愛工学生の盲点とこれからについて

‪僕たちがひとりの人間として、本当に実現したい事があるとしたら、それが見つかるのは基本的欲求を満たしてからである。

‪ろくに飯も食えず、睡眠も摂れていない、いつ死ぬかわからない状況下にいる人が、心からやりたい事を見つけるのは難しいだろう。‬

‪だから、恋愛工学は必要なのだ。恋愛工学は性欲を満たすための道具である。いわば、女の狩学であり、飯を野生動物から直接調達するようなものなのである。‬

‪僕たちがひとりの人間として生きるには性欲を満たす必要がある。だとしたら、恋愛工学はまさに都合の良い学問だ。

だが、‪恋愛工学は、手段に過ぎない。‬

どういうことかというと、目的にしてはいけないというこだ。なぜか?コモディティ化は免れないからである。

‪では目的は?‬

‪それは、ひとりの人間として「一大事を成し遂げる」事である。自身の「美の実現」といってもいい。これは、僕たちが生まれた意味そのものになる。‬

‪僕たちが自身の美を実現した時、僕たちは最高度の欲求を満たすことに成功し、幸福になれるはすだ。

‪だから、自身が何に心踊り、ワクワクするか(これが美であり、人生のゴールであり、目的である。)がわからなければならない。美の定義付けだ。‬

‪美の定義付けは難しい。なぜなら、これまで固め上げてきた固定観念、既成の価値観が僕たちの脳みそに刷り込まれていて、何が自分にとっての美なのかが不鮮明になっているからだ。例えば、結婚する、大企業に勤める事が幸せだと、無意識に思っていないだろうか。こうした価値観は、お上や管理人にとって都合の良い価値観だったりする。だから、僕たちは搾取される。搾取されても、これが幸せなんだと思ってるから、心が拒絶反応を起こしていても、頭ではそれを理解できない。結果、搾取に耐えられなかった人は死んでいくのである。心が。‬

‪だから、全ての価値観を疑ってみる事である。少しでも心がざわついたり、疑問に思ったら、なぜそう思ったのか、逐次自問自答を繰り返して、自身の思想を言語化する。その積み重ねで、自分の価値観や思想が構築されていく。多くの場合、本がその言語化を助けてくれる。僕は多くの本に救われた。だからと言うわけではないが、しかし、多くの偉人は多読家なのも事実である。‬

‪美の定義付けにより人生の最大の目標が立てられたら、後は目標までの距離を縮めていくだけだ。合理的に。ここに情けを介在させてはいけない。情けは人の為にならない。‬

‪すると、その為に何が必要で、何を捨てるべきかが鮮明になる。こうしていくいつのまにか、周りからは「軸のある人」だとか「自分を持ってる人」などと言われるようになる。‬

‪不思議なもので、あれだけ恋愛工学に頼らなければモテなかった非モテが、こうした「自分の世界観」を持つ人間になると、自然とモテるようになる。‬

‪恋愛工学生は、「モテる」ことが目的になりがちだが、そうではない。‬

‪あくまで、恋愛工学は手段であり、その先の「自身の価値観の構築」こそが目的でなくてはならない。

‪でなければ、僕たちは人間ではなく、陳列された商品と変わらない。コモディティ化は避けられない。‬