考えるコアラの頭の中

思考の整理整頓のために書きます。なので、思考ダダ漏れで読みづらいです。いつか推敲します。※18/6/26以前の記事は、別人格です。今から思うとおかしな事を言っているなと思ったりします。成長過程として敢えて残しておきます。何卒、ご理解ください。

選択肢は今あるもので考える。

例えば、飲み会大好きな一般的な学生が、今月は1万円しか手取りがないとする。

その場合、一回の飲み会代が2,500円だとすると、その月は4回しか飲み会に参加することができない。

しかし、この頭パッパラパー大学生は、友達からの誘いを断れず、ノリで5回目の飲み会を入れてしまう。すると、単純計算で2,500円分の赤字だ。

この時点で問題となるのが、5回目の飲み会を入れる前に、この費用を賄う策があるかと言うことである。つまり、2,500円分の資金調達先を確保しているかということだ。資金調達先が確保できていないのに、予定を入れてしまうと、良いことは起きない。結局資金が調達できず、約束は破ることになり信頼を失うことが多いのではないだろうか。

これはお金についてだけの話ではない。

「才能」についてもそうなのだ。

世の中には才能と努力という言葉がある。才能は生まれ持ったもので、遺伝子的に宿命づけられたものであると同時に、性格を形成する成長期までの環境によって決まる。

例えば、小さな身体の遺伝子を持つ子供は、体操の才能に恵まれていると言える。

(内村選手など、優れた体操選手は、他の分野のアスリートに比べて低身長な人が多いことから。)

この才能が0から5までの6段階あるとして、5ある才能で努力した方が、群を抜けると言う事だ。なぜなら、努力は他の誰もができる事であるが、才能はどうしようもないものだからだ。

何かをやり始める時、自分にその才能があるかどうかは重要である。生まれつき論理的思考能力が優れている人、言語能力に長けている人がいるのは揺るぎない真実である。それを前提に、現実的に、実現可能な道を選択するのが最後は突き抜ける。

では、才能とは?

才能があるかどうかを判断するには、とにかく「やってみる」のがいい。

やってみて意外と成果が出たり、努力してる感がなく、疲れない、無意識にやってしまう。

もしくは、幼少期から無意識のうちに続けてきた事が才能だったりするから、過去の自分を思い出してみるのもいいだろう。

今の自分には何も才能がないという人は、「とにかくやってみる」ことだ。何が強みかわからないのだから、やってみて、そこで感じたことを言語化して考える。

一方、自分の才能に気付いている人は、「その才能を活かす他ない」のだ。なぜなら、それですでに他者と差をつけることができるからだ。ここ