子供を産んではいけない理由
人が子供を産む理由は、遺伝子の生存本能からくるものだ。
つまり、自分の遺伝子を残すために子供を産もうとする。
だが、子供から元気をもらおうとして、つまり、自らの承認欲求を満たそうとして子供を産んだばあい、必ずしも子供から無条件の愛を受けるとは限らないのである。
なぜなら、子供は基本、テイカーだからだ。僕たちが手取り足取り教えなければならない。また、僕たちの知能に関する遺伝子や興味の遺伝子も遺伝するが、必ずしも一致するとは限らない。すると、親である僕たちと一緒にいてつまらないにんげんが育ってしまうかもしれないのだ。考えること感じることがまったく僕たちと違う子供が生まれて、僕たちが好きなもの、関心のあるものにまったく関心がない子供が生まれたら、僕たちはその子を許すことができるだろうか?
だから、親が子供を育てようとするのはもちろんいいことだが、親がテイカーだった場合、それは避けるべきだ。なぜなら、子供からエネルギーを奪ってしまう。すると、子供は感受性豊かな子には育たないのではないか。むしろ、自分の意志を抑圧して、何年間にもわたって押さえつけた結果、その鬱憤が爆発してしまうこともある。
子供は僕たち親の奴隷ではない。子供は、人間である。自由であるべきなのだ。だから、大人の価値観を子供に押し付けてはならない。様々な物に触れさせる機会を与え、子供の反応を伺うべきなのだ。
しかも、子供は自立するまで僕たち自立した親が、ギバーとして子供に無条件の愛を捧げ続けなければならない。それが子供に生を宿したものの責任である。子供にはその権利はない。大人の勝手で生を与えられたものなのであるから。
僕たち大人は、子供を産みたくなる。
それは、遺伝子の生存本能からくるものだ。
次に、僕たちは、子供を育てたくなる。
その理由は2つある。
1つは、子育てが好きだからだ。さらに交際相手も同じく子育てが好きならば、2人は子育てを通してお互いを認め、尊重しあい、幸せになれるだろう。
もう1つは、僕たちが未熟なテイカーで、子供からエネルギーを奪いたいからである。子供に癒されたい、子供に自分の意思を託したい、子供の成長した姿を見て元気をもらいたい。これは問題だ。なぜなら、子供は自由にならない。親からの期待やプレッシャーにより、自らの自由な意思を抑圧してしまうかもしれない。もちろん、親の意志と子の意志が一致すれば問題ない。しかし、それは稀であろう。
「僕たちが生まれた時から自由になるには、ギバーの親から生まれなければならない。」
しかし、現代の社会構造では難しい課題だ。
なぜなら、みなほとんどが資本家の搾取対象だからだ。資本家からエネルギーを奪われているといってよい。本当に自分のやりたいことを犠牲にして、簡単に賃金をもらうようにしている。
みながギバーにならなければならない。僕たち大人がギバーにならなければ、子供は自由にならないし、ギバーにならない。負の連鎖が始まるのである。