考えるコアラの頭の中

思考の整理整頓のために書きます。なので、思考ダダ漏れで読みづらいです。いつか推敲します。※18/6/26以前の記事は、別人格です。今から思うとおかしな事を言っているなと思ったりします。成長過程として敢えて残しておきます。何卒、ご理解ください。

幸福への道

巨大組織は、居心地が悪い。

例えば、大企業に勤めるようになると、出世するためには上司からの評判が第一である。そして、同期と同じ土俵で勝負することになる。適性はほとんど無視である。

また、ヒトは他人の噂が好きである。他人のスキャンダルで人生を消耗するのだ。世に出る雑誌が何故売れるのか。それは、多くの人が他人についてとやかく言いたい「テイカー」だからである。

「テイカー」は、精神的余裕のない人間である。つまり、自らの生理的欲求などの五大欲求を十分に満たすことが出来ていない、言わば人間として欠けている存在だ。僕もそうだ。多くの人がそうであるに違いない。

だが、ヒトは元々、自由な存在だ。

何ものにも縛られない、自分のワクワクすることに単純に没頭し、他者に余ったエネルギーを与える存在なのだ。

それが、巨大組織に属すると、人生を他者に依存することになる。つまり、人生の選択権が自身にあらず、他者にあるのだ。

先ほどの例で言えば、出世したいなら、上司次第になる。または、適性が違うにもかかわらず、同期と同じ土俵で戦わなければならなかったりする。

言ってしまえば、「個」としてのヒトが死ぬ。潰されるのだ。

だが、僕たちは一人一人が異なるバックグラウンドを持ち、さまざまな考え方や感じ方をする、特別な生き物である。その間に差はないはずのだ。

そんな事は当たり前ではないか。黒人だろうが、WASPだろうが、黄色人種だろうが、なんだろうが変わらない。ヒトだ。

しかし、ヒトはその間に差を付けたがる。

なぜか?

それは、多くの人が「テイカー」だからである。他人からエネルギーを奪うのだ。

話は最初に戻り、巨大組織は居心地が悪い話をした。

大企業然り、学校然り、時には家族や友人関係でも疲弊するのが僕たちのリアルだ。

だが、それでも、なぜヒトはそうした組織に所属してしまうのか?

1つの説明として、マズローの所属欲求が僕たちそう駆り立てている、と言えば話は単純だろう。

しかし、それにしてもおかしいのだ。

なぜなら、往々にして、ヒトを幸福にしてくれるはずの所属先によって、ヒトが殺されることがあるからだ。これは比喩ではない。現に死ぬのである。

学校でのイジメ、会社でのパワハラ、家族での居心地の悪さ…

ヒトが自身の欲求によって振り回されている。

では、一体なぜこんな事が起きてしまうのだろうか?

1つ答えを出すとしたら、僕は世の中の「社会の在り方」にその原因があると思って止まない。つまり、「資本主義社会」だ。

資本主義社会のあり方は、前にも話した。資本家がいることを前提に、労働者がその傘下に入るという内容だ。

労働者は資本家によって搾取されている。労働者は資本家によって強度なルールによって、生産され、管理され、世に大量生産される。

多くの労働者が不幸な理由はこれだ。

資本家に依存してるからなのだ。

労働者の僕たちが、幸せになるためには、資本家になるしかない。自身の人生の裁量権を、自身で持つのだ。決して他人ではない。自身の心に従うのだ。

幸せは金銭的な多寡で決まらない。

アフリカのマサイ族とアメリカの大富豪の幸福度は、大して変わらないのだ。

むしろ、幸福は他人からの承認で決まる。僕たちは資本家になる。資本家となり、他人からの承認が得られる、共にいて認め合える仲間を探すのが、幸福への道なのである。

国や企業、学校や、家族といった枠組みから抜け出そう。

見方によっては、それは大量生産を効率よく行うための、資本家にとって都合の良い「制度」だ。

僕たちが幸福になれる、心を通い合わせられる仲間は、世界のどこかにいる。それは人種や民族、年齢や血なんて関係ないのだ。