考えるコアラの頭の中

思考の整理整頓のために書きます。なので、思考ダダ漏れで読みづらいです。いつか推敲します。※18/6/26以前の記事は、別人格です。今から思うとおかしな事を言っているなと思ったりします。成長過程として敢えて残しておきます。何卒、ご理解ください。

理想の世界を少し描けるようになってきたので、それを書いてみた。

今回は時間がないので、いきなり本編。


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住み分けが完了した世界。そのためには、各人が住み分けをできるだけの戦略、才能、能力を持つ必要がある。その手助けをするのが、教育の役割であり、政府の役割でも在る。

わかりやすく言えば、その場で歌いたくなったから歌って見たら、それに同調した他の人たちも自分の才能を遺憾なく発揮して、新しい価値、音楽が生まれた。ギターでもいいし、コーラスでもいい。クラップでもいいし、とにかく、こりゃいいわ!と思える価値が生まれたら、それをメディアに落とし込む才能がある人それを世界に配信し、それのフィードバックすることに才能を見出した人が、それをやって、という具合に、競争が起こらず、住み分けができる世界が理想。それはまるで、大学生活のたまり場を思い出す。一人が歌い始めると、それに同調して、各人が良いと思ったコーラスや掛け合わせ、ビートを織り交ぜていく。そこには、楽譜にはない可能性が秘められていて、その偶発性、セレンディピティが新しい価値となる。それを楽譜にする人がいて、さらにブラッシュアップする人がいて、批判する人がいて、演奏する人がいる。振り付けを考えたり、衣装を考える人、舞台の照明、場を盛り上げる人、それらを統括する人、うまくみなが居場所を見つけて、競争なく住み分けが完了する世界。そのためには、各人が自分の居場所(only oneでnumber one)を見つけ出せる能力(僕はこれを「変態力」と暫定的に名付けているが、もっといい名前があるかもしれない)を身につける必要があって、それを公教育にする必要があると思う。一言で言えば、ミュージカル世界の実現だ。これは仏教でいうところの「ニルヴァーナ」に当たる。みなが幸福を感じられる、理想の世界だ。人類は同種で争っている場合ではないのである。はやく、どうしたら太陽に依存せずに、人類が生き延びることができるだろうか?という、宇宙規模の視点で人類存続の可能性を模索するフェーズに取り掛かるべきなのだ、と僕は思う。