僕たちは生まれた時から自由になれないのだろうか
生まれた時から、僕たちは否応なく「国」「地域」「家族」というコミュニティに属することが運命付けられている。
なぜなら、それらのコミュニティに属さないと生きていけないくらい僕たちは「か弱い存在」だからだ。
どれくらい「か弱い」かと言うと、誰かに助けてもらわなければ、餓死してしまうくらいには何もできない。せいぜい泣いて周囲に同情を誘うくらいのことしかできないのだ。
一方、蟻や馬などの人間以外の動物は、意外にも、生まれた時から「自立」してる種が多い。卵から孵ったり、お腹から産み落とされて間もないそれらの動物は、自らの足で歩き、自らエサを食べにいく。歩き方やエサの食べ方を知っているのだ。
その後、親から生存のための様々な教育が施される事もあるが、生まれて間もない段階では、少なくとも人間よりは「自立」していると言える。
この差はどこから生じるのだろうか?
どうして人間はここまで「か弱い」存在でありながら、その遺伝子を今日まで繋ぎとめる事ができたのだろうか?
単純に考えれば、同じ状況下で、自ら歩ける動物と自ら歩けない動物がいた場合、はじめに肉食動物の餌食になるのはどちらだろうか?
間違いなく後者なのだ。
だとしたら、人間は何故その種を保てたのか。それは、人間が他の動物よりも優れた遺伝情報を持っているからに違いない。
それは何だろうか。
人間と他の動物を分かつ物。
僕はそれが脳にある気がしてならない。
正確には、脳の「記憶力」だ。
僕たちが記憶力を失ったらどうなるだろうか?想像してみよう。
僕が思うに、行動が刹那的・動物的になる。つまり、現在自分がどう感じるか、何がしたいのかが優先して、それをアクトするようになる。
代わりに、後先の事を考えなくなる。いや、考えられなくなる。
僕たちが未来について予測できるのは、その想像性から来るものと言われているが、正確には、過去の自身が蓄積した経験や知識による「推測」に過ぎない。
だから、記憶力を失い、過去の参照するデータを持たない人間は、未来を想像(推測)することはできないはずだ。
まとめると、記憶力を失うと僕たちは、過去と未来を失い、刹那的な行動を取る存在になる。つまり、現在自身がどう感じるか、何がしたいのかってことしか考えられなくなり、より動物的になる。
だとしたら、記憶力は「現在」と「過去と未来」を繋いでくれる機能がある。
じゃあ、それが人間の生存にとってどんな有益があるのだろうか?
「未来」が予測できるようになる。
例えば、今晩の飯であるマンモスの狩に出かけたとしよう。マンモスはその牙・大きさ・体重故に、人間が近付けば簡単に死んでしまいうる。実際、何万という人が狩猟の犠牲になったはずだ。
このマンモスの危険性は、過去の経験から理解する事ができる。
先にマンモスを狩に行ったα討伐隊が、マンモスに素手で殴りに行ったが、1人を残して全滅したとしよう。
そして、辛うじて生きながらえた1人が、次に続くβ討伐隊に対して伝えるのである。
「マンモスは素手で殴ってもビクともしない。」
それを聞いたβ討伐隊は、その経験を知識として記憶する。そして、次の討伐に活かすのである。
「よし、では、硬い石を持って殴ってみよう。」
すると、マンモスの皮が少しだけ破れてきた。
その報告を聞いたγ討伐隊が、その経験を記憶し、次の討伐に活かし…
この繰り返しである。
僕たちは経験から得た事を知識として脳に記憶する事ができる。そして、得た知識は、僕たちの行動に働きかけ、僕たちの行動をより生産的にしてくれる。
これが学習のメカニズムである。
記憶力は、学習の土台となっている。
まとめると、記憶力は、僕たちがより生きやすいような行動を取るために必要なデータを、経験や知識として蓄積してくれる。それを基に、未来を想像し、現在の行動を修正できるのである。
人間は他の動物よりも優れた遺伝情報を有していると話したが、それは記憶力のことである。
記憶力は、人間に現在だけではなく、過去と未来を見る事を可能にした。過去と未来が見えると、現在自分がどう行動を取るべきなのかがわかるようになる。目標により生産的なアクションが起こせるようになる。
だから、同じ現在で生きる人間と他の動物で、生後間もない頃はより弱い存在であった人間が、他の動物よりも生き残る事ができる。
現在において、より生産的にアクションを起こす事ができるからだ。
でも、これでは、生後間もない人間と、他の自立した動物がいて、人間の方が生存確率が高いということはできない。なぜなら、過去を振り返ったり、未来を想像できるようになるには、ある程度時間が必要だからである。
今回はここまで。