考えるコアラの頭の中

思考の整理整頓のために書きます。なので、思考ダダ漏れで読みづらいです。いつか推敲します。※18/6/26以前の記事は、別人格です。今から思うとおかしな事を言っているなと思ったりします。成長過程として敢えて残しておきます。何卒、ご理解ください。

年功序列型組織の末路

実力のある者が、組織的なルールに基づいた虚構の権力だけを有する上司に逆らうことができない。

腹では思ってもないことを言わなければならない時が往往にしてある。また、上司の言ったことは、きちんとした理由がない限りは断ることは許されない。なぜか?年上の命令は絶対だからである。組織の構造的にそうなのである。だが、ここでは僕たちの意志は無視されている。僕たちはその個性に関わらず、年数によって差別される。

実力のない人にとっては、幸運なことだ。実力がなくても、実力のある人を使うことができる。このことからわかるように、年功序列というシステムの目的は、「無能でも有能を使うことができる」ことであるともいえる。

だが、こうしていくと、有能な人は理不尽に感じるだろう。なぜなら、大した成果も出さない無能な年上が、自分の何倍もの給料をもらっているからだ。しばらくすると、頭の良い有能な人は気付くのである。

ここにはいては搾取されるだけだ。

こうして、頭の良い有能な人材は、実力主義的な外の世界に出て行く。成果に見合う対価が得られる、無駄な人間関係に神経をすり減らす必要もない場処へ移る。

問題は、取り残された年功序列型組織である。無能が無能を扱って行く。当然、成果は上がらない。するとどうなるだろうか?

その組織は腐っていく。

気付いた時には、その組織は修復不可能なまでに機能不全に陥り、倒産である。いわば、無能な上司は、年功序列が作った「ガン」である。

僕たちは、自身が有能になれる組織に行くべきだ。そして、見栄や金に目もくれず、自身が活躍できる場所で有能になるべきなのだ。でなければ、その組織は腐る。組織でなくても、何かをするときは、自身の心に従おう。