考えるコアラの頭の中

思考の整理整頓のために書きます。なので、思考ダダ漏れで読みづらいです。いつか推敲します。※18/6/26以前の記事は、別人格です。今から思うとおかしな事を言っているなと思ったりします。成長過程として敢えて残しておきます。何卒、ご理解ください。

ヒトは「物語」に突き動かされているって話。〜何をしたらいいのかわからない人へ〜

キリストの予定説=人一人に固有の物語があって、僕たちはそれを体現しようとする。物語とは、生存戦略のことで、どんな世界なら自分が最も生き残りやすいか?というものだ。ここでは、みなリバタリアン(自分のことは自分で何でもやる)だという前提で話したい。そのような自給自足生活を可能にさせるインフラの整備が実現したら、次はどんな世界を望むだろうか?僕が思うに、地球の持続可能性ないしは、別惑星への移住計画だ。といっても、人が本当に地球に住めなくなる日なんてのは何億年も先かもしれないし、差し迫って危機が訪れないと、そんなことは考えないかもしれない。


豊かな社会(人々の欲求を満たしうる社会)には、新たな文化は生まれない。


だが、復興はあるかもしれない。ルネサンス的に過去の文化に遡り、現代のアンチテーゼとして、批判のために、新しい文化が誕生するかもしれない。完璧なんてものはない。だからこそ、不満が募って、人々は芸術を生み出そうとする。そう、芸術とは、溜まったストレス、現状への不満を一時的に解消するとともに、誰かに理解してほしい、賛同してほしい、共に行動する同志がほしいという願いがあるはずである。


だとしたら、それ以外の芸術には、どこか物足りなさがある。中学生の発表会のような、ただただ技術を披露し、賞賛のための芸術(すなわち、ポピュリズム、芸術至上主義)は、行き詰まるものがあるだろう。


本当に大切なのは、「物語」だ。

どんな世界を望み、それがどんな世界なのかを表現する。そのための「芸術」である、と常々思うのだ。